奥州小路
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一三、須賀川

とかくして越行ままに、あぶくま川[1]を渡る。左に会津根[2]高く、右に岩城·相馬·三春[3]の庄、常陸·下野[4]の地をさかひて、山つらなる。かげ沼[5]と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すか川の駅[6]に等窮[7]といふものを尋て、四五日とめらる。先「白河の関いかにこえつるや」と問。「長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばはれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。

風流の初やおくの田植うた

無下にこえんもさすがに」と語れば、脇·第三とつづけて、一巻となしぬ。

此宿の傍に大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧[8]有。橡ひろふ太山もかくやと閒に覚られて、ものに書付侍る。其詞、栗といふ文字は、西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩[9]の、一生、杖にも柱にも此木を用給ふとかや。

世の人の見付ぬ花や軒の栗

注释:

[1]阿武隈川。自白川关西面旭岳流出,经白川关北面贯穿福岛县,于宫城县注入太平洋。

[2]会津岭,即磐梯山。

[3]岩城、相马、三春均为福岛县地名。

[4]常陆、下野分别指今茨城县、栃木县。

[5]影沼,也称镜沼,位于白川关北面岩濑郡镜石村,沼水映人如镜。

[6]须贺川驿站,原奥州道驿站,今福岛县须贺川市。

[7]等穷,本名相乐伊左卫门,时任须贺川驿站长,俳人。

[8]指等穷之友,俳号可伸、粟斋,本名簗井弥三郎。

[9]行基菩萨,奈良时代高僧。