上QQ阅读APP看本书,新人免费读10天
设备和账号都新为新人
九、雲巌寺
竪横の五尺にたらぬ草の庵
むすぶもくやし雨なかりせば
と、松の炭して、岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。
其跡みんと、雲岸寺に杖を曳ば、人々すすんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず、彼梺に到る。山はおくあるけしきにて、谷道遙に、松杉黒く、苔しただりて、卯月の天、今猶寒し。十景[3]尽る所、橋をわたつて山門に入。
さて、かの跡はいづくほどにやと後の山によぢのぼれば、石上の小菴、岩窟にむすびかけたり。妙禅師の死関[4]、法雲法師の石室[5]をみるがごとし。
木啄も庵はやぶらず夏木立
と、とりあへぬ一句を柱に残侍し。
注释:
[1]云岩寺,位于黑羽东约12千米处的临济宗寺院。
[2]佛顶和尚,常陆(今茨城县)人,鹿岛根本寺住持,曾在云岩寺修行,芭蕉随其参禅。
[3]指云岩寺境内十景。
[4]妙禅寺之死关。“妙禅寺”指中国南宋时代高峰原妙禅师。他置身天目西峰张公洞,15年没迈出洞外一步,57岁在洞中入寂,故称“死关”。
[5]法云法师之石室。“法云法师”为中国梁代高僧,结庵于寺内巨大的岩石之上,“石室”指的是此庵。