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八、黒羽
黒羽の館代[1]浄坊寺何がし[2]の方に音信る。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語つけて、其弟桃翠[3]など云が、朝夕勤とぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ、日をふるまに、日とひ郊外に逍遙して、犬追物[4]の跡を一見し、那須の篠原をわけて、玉藻の前[5]の古墳をとふ。それより八幡宮[6]に詣。与一[7]扇の的を射し時、「別しては我国氏神正八まん」とちかひしも、此神社にて侍と聞ば、感応殊しきりに覚えらる。暮れば桃翠宅にる。
修験光明寺[8]と云有。そこにまねかれて、行者堂[9]を拝す。
夏山[10]に足駄を拝む首途哉
注释:
[1]代领主。
[2]净坊寺某,指净法寺图书高胜,俳号秋鸦。
[3]“桃翠”为“翠桃”之误,即图书高胜之弟。
[4]骑马射犬,放狗于栏中,骑马追射,为镰仓时代盛行的一种竞技。
[5]玉藻前,金毛九尾狐所变美女的名字。其成为鸟羽天皇之妃,后被识破,逃至那须原被射。其魂化作杀生石,鸟虫触石即死。
[6]八幡宫,指位于今大田原市南金丸的那须神社。
[7]那须与一宗高,源义经之臣。在屋岛战役中,平家方面于船上的一根竹竿上立一把扇子,让源氏方面射,与一成功地把扇射落。
[8]修验道之光明寺,位于余濑翠桃宅附近。
[9]行者堂指供奉役行者之堂。役行者为佛教“修验道”教派的开山祖。传说役行者脚穿独齿高木屐自由往来于山野之中。
[10]夏季陆奥的群山。